検索
  • Hide Hayashi

中華料理

最終更新: 8月26日

 


ひとり暮らしの時期に料理を始めました。

 指南書はオレンジページの『お料理一年生』で、新生活をスタートする女性への入門書です。

 野菜や魚の下拵えをマスターして、友人を招いては批評をしてもらいました。何事も客観的評価が不可欠ですよね。日々の弁当も作りました。小田急線経堂駅のすずらん通り商店街の金物屋で、懐かしいアルマイトの弁当箱を見つけました。若き日の加山雄三さん愛用の『ドカベン』という逞しいヤツで、今も現役です。

 弁当づくりは楽しいですよね。弁当箱は食の小宇宙です。

 黒澤明監督が好きだった『ビフテキ弁当』も試作しました。醤油と味醂とスパイスの合わせ調味料に30分ほど漬けた牛肉を、ロースターで焼くだけのカンタン料理です。アメリカ牛はお手頃価格だけど堅いので、肉叩きも買いました。肉は炭火で焙るのが理想ですが、日常では難しいですよね。付け合せの野菜は冷蔵庫の残りものを使いますが、たまに奮発してクレソンをびっしり詰めたこともあります。

黒澤流ではビフテキに卵焼きを添えるのですが、それではカロリーが高すぎる気がします。でも映画監督は肉体労働ですから、それぐらいのボリュームは必要だったのでしょう。

 メニューに困るとシャケ弁です。焼いた塩鮭を弁当箱に詰めた白いご飯の上に置く。ただそれだけですが、実に美味しいのです。インゲンかほうれん草の胡麻和えをあしらえば完璧です。


 唐津での少年時代は洋裁師の母とふたり暮らし。母はお針子さんたちの面倒も見なければならず、時間に追われる生活だったのに、弁当だけは毎日持たせてくれました。切り身魚の漬け焼きや塩鮭のこともあれば、ひとくちカツと千切りキャベツ、時間がない時は総菜屋のコロッケやメンチカツに松浦漬けとか、焙り鱈子。また油揚に卵を収めて甘辛く煮た『巾着卵』が得意でした。

 学生鞄から弁当箱を取り出すと、包んだ新聞紙にだし汁が浸み出していて、『巾着卵』だと判ります。弁当箱の蓋にお茶を注いで、広げた新聞を読みながら母の弁当を食べる・・・弁当に育まれた中学・高校時代でした。

 そんな母の遺伝子なのか、僕も弁当作りには時間と情熱をかけます。渋谷桜丘の事務所に出社したら昼過ぎで、すぐに弁当を開くということがよくありました。スタッフだったぽんたも弁当持参でしたが、僕には見せてくれません。なんでも玄米食だったようです。


 母がお客の注文で生地を買いに博多に行くときは、よく僕を連れて行ってくれました。中華料理店での母のオーダーは決って酢豚と八宝菜でした。

 それはそれとして、古色蒼然たる博多駅の路地裏に、大鍋で丸鶏を煮て食べさせる店が好きでした。グラグラと湧きたつ大鍋から、煮立ての丸鶏を引き上げると、ナタのような大きな包丁で骨ごと叩き切って、無造作に皿に盛付けて出すという豪快料理です。

 その店にはその煮汁をベースにしたラーメンもあって、男たちは煮鶏でビールやコップ酒をあおり、シメにラーメン。裸電球がぶら下がった狭い店内は、モウモウたる湯気に霞んで活力に溢れ、そんな景色も好きでした。

 唐津の『成吉思汗(ジンギスカン)』は、中華風手羽先煮や鶏の唐揚げが名物でした。

 唐揚げ四ツ割りを注文すると、「肩か腿か?」と聞かれます。骨を掴んでかぶりつくと、ジュワッと鶏の脂と旨味が口いっぱいに広がる「腿」も魅力ですが、さっぱりとしたムネ肉にカリカリに揚がった手羽の付いた「肩」も捨てがたく、少年の心は千々に乱れるのでした。

 ケンタッキーフライドチキンなどの外食チェーンが存在せず、店主の個性が輝いていた佳き時代です。

 もうひとつの好物だった中華風手羽先煮は執拗に試作を重ね、試行錯誤のすえ実に40年をかけてほぼ完成しました。そのだし汁で作る煮卵も『きのこ食堂』(「きのこバー」改め、これからは「きのこ食堂」です。ヨロシク)では好評です。

 でも「ほぼ」というのは煮上げた色が不満。飴色のコックリした煮上がりが理想です。

 色が濃く塩味が薄い中国醤油が最適ですが、中国食材の使用には抵抗があります。

以前は合羽橋の『プロパック』でヤマサの日本製中国醤油が手に入ったのですが、このところ見かけなくなりました。

 ですから九州の『刺身醤油』をブレンドしたりして、試行錯誤が続いています。

 寒くなったら寸胴鍋で丸鶏をじっくり煮込んでみようかと思っています。博多の煮鶏の再現でもありますが、その時に出る大量の煮汁をうんと煮詰めて手羽先煮に運用するつもりです。

 こっくり煮上げた丸鷄で絞り込んだレモンと吾妻炭酸の『浅草酎ハイ』、そしてシメはサッパリと鶏ガラスープのラーメン。

「ああ、お腹がすいた」


 中華料理の話が続きます。

 サラリーマン一年生の夏、銀座で試写のあと、先輩が中華料理店で食事をオゴってくれました。

 ビールで春巻き。パリパリの皮を噛むと中から挽肉、筍、椎茸がとろりと登場して初めての食感。シメがジャージャー麺です。山椒を効かせたピリ辛味噌味の挽肉に生の葱や胡瓜の千切り。それらがもっちりした細縮れ麺に絶妙に絡み、

「こんな旨いものが世の中にあったのか!」

と驚愕しました。それが春巻きとジャージャー麺との運命的出逢いでした。時を経て『きのこ食堂』の夏の定番になりました。

 初夏に『きのこ食堂』の常連かつ『厨(くりや)の魔女の手下』のさっちゃん、ぽんたの三人で銀座の『天龍』に味の究明に出かけました。ここの大振りの餃子は人気です。

 久しぶりに伺った『天龍』は瀟洒なビルに移転していて、高級中華料理店に変貌を遂げていましたが、味が変わったような気がします。

「厨房が変わると味も変わる」

と言われます。

 具材に白菜が使われているのか、それともキャベツなのかが謎でしたが、機転の効くさっちゃんがタイミング良く聴きだしてくれて、両方のミックスだということが判りました。

 ぽんたが粉を捏ねて細い麺棒で皮を作り、入魂の具材を包んで、ホーローのバットに行儀よく整列した生餃子を焼くのは僕の担当です。キッチンレンジのリニューアルに伴い、大きなフライパンも買いました。これからじっくりと『きのこ食堂』餃子の探求に取り組みたいと考えています。あと四十年くらいかかるかもしれません。


 68年に東京に住み始めたら、街に中華食堂が多いのと、ラーメンライスや餃子ライスがメニューにあるのに驚きました。僕はたちまち野菜炒めライスが好きになり、

「僕の学生時代は野菜炒めライスと共にあった」

と言っても過言ではありません。

 新型レンジは火力が強いので、やっと『きのこ食堂』で野菜炒めを出せるようになりました。強火でサッと仕上げないと、野菜のシャキシャキ感がでません。

 定番は豚肉の切り落しにもやしと千切りピーマンですが、僕たちはもやしの豆とヒゲ根をすっかり取ってしまうので、仕込みに手間がかかります。

 中華鍋に胡麻油を引いて刻んだネギと生姜を加えると、ホラ、もう中華の香りです。豚肉を加えスパイスや中華香味ペーストで下味をつけておいて、一挙に火力を最大にしたらもやしとピーマンを放りこんで手早く炒め、水溶き片栗粉を加えてひと廻し、火を落とし味見。自家製のニンニクを漬け込んだ醤油で味を整えます。ラーメンに載せても美味しいですよ。

 新宿の『石の家』の上海風焼きそばも大好きで、学生時代からよく通いました。この頃では極太麺がスーパーで手に入るようになったので、これも野菜炒めの副産物としてよく作ります。『きのこ食堂』の冬のメニューにも加えたいと思っています。



16回の閲覧
  • Instagramの社会のアイコン
  • Facebook Social Icon
  • Twitter Social Icon

​ゑびす堂・株式会社タムト  

東京都台東区浅草3-16-1-1104 Japan

お問合せ tamthide@gmail.com    03-5808-9506

(c) 2018 TAMT Co., Ltd.​