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五反野

最終更新: 8月26日

 


浅草から東武伊勢崎線へ乗って『五反野』へでかけました。

 電車は発車後すぐに隅田川に架かる古い鉄橋をのそのそと渡り、スカイツリーを右に見ながら北千住へと向かいます。

 ある鉄道関係者に聞いたのですが、何でもその鉄橋は老朽化が進んでいて、通常のスピードで走ると崩落する危険があるのだそうです。

 普通乗車料金でスリルが味わえ、少し涼しくなります。

 北千住を過ぎると荒川で、その鉄橋を過ぎると東京拘置所の建物が右手に見えます。

 大規模で無機質な集合住宅風なのですが、屋上がジュラシックパークみたいに蒲鉾型の巨大な鳥かごで丁寧に覆われているので、「ああそうなんだな」と判ります。

 電車が小菅駅を出発すると、すぐに常磐線を乗り越えるように交差する地点に差し掛かるのですが、その場所が今号の舞台です。


 昭和24年7月6日の零時過ぎ、常磐線の上野から松戸行きの最終列車の運転士が、東武伊勢崎線ガード下を通過した直後、礫死体を発見しました。

 その場所は何故か鉄道自殺の名所で、それまで30件余りの自殺者を出しています。

 小雨のそぼ降る鉄路をカンテラをかざした綾瀬駅の駅員が現場に向かい、駆けつけた巡査も加わって周辺を捜索すると、懐中品からその無惨な遺体が下山国鉄総裁であることが判明しました。

 これが未だに解決を見ない昭和の怪事件、『下山事件』です。

 下山さんは5日午前中に丸ノ内の国鉄本社への通勤の途上、日本橋三越に立ち寄ったまま行方不明になっていたのです。

 国鉄の公社化に伴い大量の人員整理を迫られ、終戦直後から日本を統治していたGHQはもとより、日本政府からもプレッシャーをかけられていた下山さんはノイ  ローゼだったので、自殺だろうということになりました。

 それに呼応するように、失踪の日は浅草行きの地下鉄銀座線の車中を始め多くの

目撃証言があり、また東武線の五反野駅では駅員さんに

「この辺りに旅館はありませんか?」

と訊ねています。

 その駅員さんは駅の近くの『末広旅館』を教えます。

「休ませて欲しい」

 と訪れた下山さんに旅館の女主人が宿帳の記入を促すと、

「それはカンベンしてくれ」

 と断わられたのだそうです。


 僕たちは五反野駅の改札口を出ると商店街に沿って左に歩き、最初の信号を渡ってから左に歩きます。

 旅館がすでに廃業していることは知っていたのですが、それなりの大きな敷地を予想していたので、うっかり通り過ぎてしまい、下校時の小学生児童を安全誘導する小旗を振っている女性に訊ねてみましたが、「知らない」というご返事でした。

 そりゃあそうでしょうね。事件からはもう66年が経過していますからね。

 僕は何となくソワソワしているのにぽんたはやけに冷静で、末広旅館跡はすぐに見つけてくれました。

 意外に狭い敷地に低層の建物、地上階は不動産屋さんでした。

 若い頃テレビのドキュメンタリー番組で『下山事件』を知ってから、訪れてみたい場所だったので、しばし感慨にふけりました。

 下山さんは3時間半ほどこの旅館に滞在したそうです。

 ただ不思議なことにヘビースモーカーの彼がここでは一本も煙草を喫っていないのです。

 遺留品からは愛用のシガレットケースもジッポーのライターも発見されていません。

 その朝から急に禁煙を思い立って、あの鉄橋から隅田川に捨ててしまったのかも・・・?

 昭和24年当時、末広旅館の前は狭い小径で通り沿いには川が流れていました。

 雲霞のごとき捜査員やマスコミでごった返したそうです。

 今は二車線なっている車道を現場へと歩きました。

 約一キロの行程です。

 下山さんはこの道沿いでもいろんな人たちと出逢っています。

 ずっと歩き続けると、東武伊勢崎線のガードに突き当たります。

 当時は土手の上を線路が走り、小径にはトンネルがありました。そんな風景は僕の子供の頃にはそこここで見られました。線路の土手が遊び場所でした。

 そこをくぐって右の鯉が泳ぐ水路沿いの遊歩道を進むと、右の公園の奥が東武線と常磐線が交差する問題の地点です。

 ところが、線路の周囲は高い防音壁にキッチリと囲まれて、事件現場を望見することができません。

 公園内の切り株の上に立ってみましたが無理でした。

 そうこうしているうちにぽんたが蚊に刺されたりして、とっても落ちつかない気持ちです。

 もう諦めようか? と思って辺りを見回すと近くにマンションらしき建物があって、その階上に上れば現場が見渡せそうです。

 一階は高齢者のデイケアーセンターで、ちょうど夕食のお弁当のデリバリーが始まったばかりの時間のようでした。

 その建物の上に登る許可を得たいと白い厨房着の女性に聞けば、建物の管理人さんの部屋を教えてくれます。

 今更あとに引けない悲愴感に引きずられるように、恐る恐るその管理人さんの部屋のインターホンを押してしまいました。

 やがて返答があって訪問の目的を話すと

「わかりました」

という返答を得たものの、なかなかドアを開けてはくれません。

 ひょっとしたらオレオレ詐欺とか怪しい宗教団体の勧誘と勘違いされて、警察官が来て職質されるのかもしれないと不安になりほとんど逃げ腰になった時、勇気あるぽんたはドアの外に居座って僕を呼ぶのです。

 ドアが開いて登場したのは純朴なる昭和風な女性で、「夕食のちらし寿司を作っていて手が離せなくてごめんなさい」というコトでした。

 エレベーターで最上階まで案内してくれて、僕はやっと轢断現場を一望することができました。

 その建物は高齢者専用賃貸住宅なのだそうです。入居のお年寄りは毎日歴史的事件現場を眺めて暮らしているのですね。

 10年ほど前にもテレビのスタッフが来て撮影したそうです。

 事件は自殺説とGHQの謀殺説に分かれて紛糾しました。

 『ゼロの焦点』などの著作のある推理作家の松本清張さんもこの現場を訪れています。

 他殺ならば、五反野をウロついていた下山さんは替玉ということになりますよね。

 でもなんだかB級サスペンススリラーのシナリオのようにどこか大雑把です。

 もしその替玉さんが巡査に職務質問されたりすると、すべての計画は瓦解してしまいます。

 それに登場する関係者の数は膨大で、経費はかさむ上に段取りも大変です。何度もリハーサルをやっておく必要があります。

 それに口封じのために、バレそうになったら死んでもらわねばなりません。ホラー映画の世界です。

 事件が昭和37年の時効を迎える前後になると、「今だから話せる」的な証言が続出して、ますます混迷が深まりました。

 でも下山さんには申し訳ないけれど、謀殺説が根強いゆえに、永く語り伝えられているのも事実です。

 ジャーナリストの真相への追及心を鼓舞して止まないのですね。


 ずっと思い描いていた光景が眼下に広がっています。

 綾瀬方面にゆるくカーブしている線路も、モノクロ映像で繰り返し見ました。

 懐かしいようでもあり、あたりまえのようでもあります。

 下山さんの鎮魂碑が常磐線のガード下にひっそりと僕を待っていました。

 石板に小さな手造りの赤いフレームの肖像写真が、不器用に貼り付けてあったのが奇妙でした。

 遺影のつもりなら黒枠が普通なのに、なんで赤枠なんだろうと、さらに混迷は深まるのでした。


● 参考文献 『日本の黒い霧・上巻』松本清張著 文春文庫 『何も知らなかった日本人』畠山清行著 祥伝社文庫 『下山事件・完全版』柴田哲孝著 祥伝社文庫



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