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椿 三十郎

 1962(昭和37)年の夏は、僕は小学生でシュノーケリングに熱中。唐津市内の海水浴場近辺では飽き足らず、自転車やバスで遠くへ出かけたりしていました。

 玄海町の岬には澄みきった蒼い空や、透明な海がひろがっていました。竹の末端に自転車のチューブを取付けた手製の銛(もり)で、魚を突いたり貝や雲丹(うに)も採りました。地元のおばあちゃん手づくりの『塩雲丹』が美味しかったのに、後年原発ができてから廃れてしまいました。

 少年時代の帰らぬ夏の想い出は、今は宝石のようにキラキラと貴重です。


 その年の初冬、静岡県御殿場の自衛隊演習場から、時折遠雷のように聞こえる小火器の炸裂音のなか、黒澤明監督の映画『椿三十郎』のラストシーンのロケが行われました。

 黒澤さんのシナリオには、

「これからの二人の決闘は、とても筆では書けない。長い恐ろしい間があって、勝負はギラッと刀がいっぺん光っただけで・・・」

とあるだけ。

 対峙するのは三十郎(三船敏郎)と敵(かたき)役の室戸半兵衛(仲代達矢)。

 室戸が居合一閃刀を振りあげた瞬間、三十郎の刀が左逆手に抜かれ、右拳を刀の峰に添えて胸を切り裂く。大噴出する血しぶき。室戸は刀を正眼に構えたまま半回転して倒れる。

 公開当時大評判になった、『椿三十郎』の決闘シーンです。

 この撮影のために、三船さんも仲代さんも数ヶ月、ひたすら居合の練習をしたのだそうです。三船さんは素早く抜くために、刀身を十五センチ短かくしました。

 ポンプから血を噴出させる仕掛けは前作の『用心棒』でも試されていましたが、今回は大掛かりなのでスタッフも苦心したようです。

 仲代さんの胸にホースを装着、ホースは地中に埋め水素ボンベを使って着色した液体を急送する。タイミングが合わないとオジャンです。そのために仲代さんには替えの衣裳が何枚も用意されていました。仲代さんは噴出の衝撃で転倒しそうなのを、必死で踏み止まりました。

 その決闘を目撃した若侍の井坂(加山雄三)はじめ全員が血の気が引いたような表情になりますが、あながち演技だけではなかったような気がします。本当に仲代さんが斬られたと思った俳優さんたちやスタッフが、大勢いたそうです。

「映画のためなら、何をするかわからない」

と恐れられた黒澤マジックの真骨頂です。


 『用心棒』が大ヒットしたので、その続編が配給側から要請されます。「儲かれば、二匹目の泥鰌を探す・・・」商売ならば当然ですよね。

 黒澤監督は、続編では『姿三四郎』が満足な出来ではなかったので、その提案には消極的でした。

 ただ山本周五郎さん原作のほのぼの時代劇『日日平安』を映画化したいと、脚本を用意していました。こちらの方は「地味」だと配給側が消極的でしたが、これに三十郎を登場させ、また小林桂樹さんを起用することで、迫力のなかにものんびりとした要素を残し、痛快活劇『椿三十郎』が生まれました。

 クランクインは61年の11月7日です。御殿場の『厳島神社』の社殿と境内をライトアップして、擬似夜景が準備されました。

 その数ヶ月前から、登場する若侍たちはかつらを被り衣裳を着て、大小の真剣をたばさみ、毎朝撮影所をジョギングして藁束を斬らされました。黒澤流のリハーサルです。


 お家騒動に巻き込まれた三十郎は、窮地に陥った若侍たちを手助けをすることになります。

 社殿をとり囲む汚職の首魁大目付(清水将夫)の配下を、抜刀せずに鞘さばきでなぎ倒します。

 模擬刀は数本作られました。本来ならば丈夫な樫(かし)材を使うところですが、それでは敵役の役者さんたちの体がもちません。結局軽い桐(きり)材に落ちつきました。   

 立ち回りの侍たちがこっそり衣裳の下に忍ばせていた緩衝材も、黒澤さんの命令で取り除かれました。

 いざ本番がスタートすると、三船さんの撃ち込みの衝撃で模擬刀の半数が折れて、その度に撮り直しです。俳優さんたちは打身の傷が絶えず、余りにも可哀相です。

 やっとOKが出たとき、実は鞘の先端が折れていましたが、運良く黒澤さんは気がつかなかったそうです。

 ビデオをコマ送りしても、余りのスピードに画面が流れていて確認できませんでした。バレたらまた撮り直しだったでしょうね。次のカット変わりの前に、スタッフがこっそりすり替えたそうです。

 追手が去ったあと、三十郎に匿われた九人の若侍が、縁の下からポコポコと顔を出すシーンはユーモラスです。


 汚職をはたらく大目付一派が、城代家老(伊藤雄之助)を拉致監禁している『椿屋敷』のオープンセットの椿がスタッフには苦労の種でした。

 多摩から椿の木を何本も運び込んで、紅白の造花の椿を咲かせるのですが、『椿三十郎』は白黒映画なので、紅い椿は灰色にくすんで写ってしまいます。

 脚本上でも椿の色は重要なファクターなので、ボンヤリとした色合いではメリハリがなく黒澤さんが納得する筈はありません。それで白い椿の造花をひとつひとつ黒く塗ります。一万五千個というすごい数なので、黒澤さんはじめスタッフ総出の作業でした。また椿の葉はカールして絵にならないので、榊(さかき)の葉を集めてさらに着色しました。

 やっと準備が整ったところで天候が変わり、その日の撮影は中止になったこともあるそうです。葉っぱはそのままにしておくと枯れてしまうので、取り外して保管しなければならず、そんなことの繰り返しだったそうです。

で、いざカメラが回る直前になると、

「あっ、その椿一センチずらして」

なんて指令が飛ぶのですから、スタッフはたまりません。

 実は黒澤さんは紅い椿だけパートカラーにしたかったのですが、当時の技術では無理でした。やがて『天国と地獄』の煙突から排出されるピンクの煙で、やっと実現しました。


 敵に捕縛された若侍たちを救助する三十郎の殺陣は、『用心棒』からさらにスケールアップされて完璧です。ひとり二秒二度斬りの早業は、前作にも増して圧巻です。二十人あまりが瞬時に斬り倒されます。

 太い縄で縛り上げられさるぐつわを噛まされた若侍たちは、準備が整うまで寒空に放置されました。黒澤さんは照明位置の調整に夢中で、彼等のことはすっかり忘れていたようです。

 若侍のひとり土屋嘉男さんが黒澤さんにそのことを言うと、暫くしてねぎらいの叉焼(チャーシュー)麺が届きました。大勢のスタッフやキャストや三船さんが羨ましそうに見ている中で、若侍たちは素直に食べてしまいました。食べないとのびちゃうしね。

 立ち回りの直後、三十郎が不甲斐ない彼等を殴りつけるシーンがありますが、三船さんは手加減しません。田中邦衛さんなどはふっ飛んでしまいます。

きっと三船さんもお腹が空いていたのでしょうね。ちなみに叉焼麺は三船さんの大好物だったそうです。

 これも、黒澤さんが演技の迫真力を増すために周到に仕組んだのでは・・・と思ってしまうのは僕の考え過ぎでしょうか・・・?


○参考文献 『クロサワさーん』土屋嘉男著 新潮社 『椿三十郎ー再び三十郎』都筑正昭著 朝日ソノラマ

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